サーラー・ジョンレンピエン(ศาลา)
この建物は、サーラーと言って、皆が集う集会場です。
名前をサーラー・ジョンレンピエンと言います。努力精進に
つとめる集会場、という意味です。
故カンポンさんがこの名前をつけました。
ここでは朝4時半、夕方6時から読経が行われます。
行事やイベント、瞑想指導などもこの場所で行うことが多いです。
このサーラーからの眺めは遠くの湖までよく見えて、
思わずホッと深呼吸ができます。
カンポンさん記念館
カンポン・トーンブンヌムさん(1955 - 2016)は、ナコンサワン県生まれの元体育教師。船の民として生まれ苦学して念願の体育の先生になりますが、24歳の時水泳の飛び込みに失敗して頚椎を損傷。以後全身麻痺の障害を負ったままの生活になりました。
夢も希望も失ったカンポンさんは、仏教に救いの道を探しますが、本は読んでいても瞑想実践はできないと諦めていました。
しかし、縁あってスカトー寺の元住職カムキエン師と出会い
「体に障害があっても、瞑想はできますよ」との励ましを受け、気づきの瞑想に専念していきます。
気づきを高めるにつれ、どんどん心の苦しみが減っていったカンポンさん。
師匠のカムキエン師をはじめ、善友(良き友)の仲間が広がり、いつしか彼の元へ
人生や修行の相談に来る人が絶えなくなりました。
在家者でありながら、お坊さんたちにも慕われたカンポンさん。
テレビ・ラジオでも取材され、映画になり
「体に障害はあっても、心まで障害をもたなくてもいい」という彼の生きたメッセージは
多くの人の生き方に影響を与えていきました。
亡くなる数年前からは、障害に加え、事故の際の輸血が原因と思われるC型肝炎を発症。その後肝臓がんと診断され、晩年はターミナルケアを受けられながら、ライトハウス(ウィリヤダンマ・アシュラム)で静養されました。
カンポンさんがこちらで過ごされたのは実質5か月ほどでしたが、
この地を大変好まれ、また命の最後の貴重な時間を、訪れてくる善き友たちと
穏やかに過ごされました。
カンポンさんの葬儀も、2016年5月1日、こちらライトハウスの敷地内で行いました。2000人もの人たちが見守る中、荼毘に付されました。「死は人生の最終科目」であると生前お話されていた通り、私たちは炎に包まれるカンポンさんのありのままの姿から、生と死への気づきを学んだ素晴らしい葬儀でした。お葬式の様子は、タイのドキュメンタリー番組にて放映されました。「死、それはいのちの最後の授業」として以下のyoutubeでご覧になれます(日本語字幕あり)
カンポンさんのご遺骨は一部を残して、川へ散骨されました。一部はスカトー寺へ、そしてこちらアシュラム内に「カンポンさん記念館」として奉納されています。
また、カンポンさんの生前の足跡をたどる写真、使っていた車椅子などが
展示されています。
そして、大きな黒板にカンポンさん自筆のこんなメッセージも。
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もしある日、残された時間が限りあるものだと気づいたなら
今急いでやるべき大切なことは変わるでしょうか。
人生の目的はそれに気づく前とどのように違ってくるでしょうか。
残された時間を使ってどのような事をしようとするでしょうか。
人生最期の時をどのように迎えたいですか。
死は人生の最終科目
カンポン・トーンブンヌム
(翻訳:長尾俊哉)
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カンポンさんの笑顔と息吹の残るこの記念館で
しばしの間、ゆっくり自らと対話をしてみませんか。
なお、カンポンさんについて日本語での情報は、以下の通りです。
1)書籍『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』(佼成出版社)
2)電子書籍『苦しみという宿題、死という卒業試験』(イケハヤ書房)
3)電子書籍『体に障害があっても、心まで障害を持つ必要はない。
今日から始める「死んでいく練習」』(イケハヤ書房)
4)noteマガジン「障害の苦しみ超えちゃったカンポンさんの 今日もバッサリ!」
5)カンポンさん動画 タイドキュメンタリーTV・コンコンコン(1〜4)
6)カンポンさん動画 2015年新年メッセージ
7)カンポンさん動画 2013年沖縄での講演会(1〜5)